さよなら、未来
2ぺージ
次の日、今日もお母さんに起こされてから、僕は枕の下に入れていた写真をランドセルのポケットへと移動させた。
タロと学校に行きたい、なんて我儘を言った日があったけれど、こんな形で叶うなんて、ちっとも嬉しくなかった。
顔を洗いに洗面台へ行くと、泣きすぎた所為か瞼が腫れていた。
リビングへ行って改めてお母さんを見れば、お母さんも瞼が腫れていて、2人で笑いあった。
タロは僕たちの"ペット"じゃなくて"家族"だったんだな、と改めて感じた。
家を出て直ぐに庭の方を見るのが癖になっていた。
もう、タロの姿は見えない。
それだけでこんなにも切なくて、寂しい。
学校に着いて、教室に入っても、誰かの笑い声は遠くに聞こえるし、挨拶を笑顔でうまく返すことも出来ない。
友達との話も弾まないし、昼休みに遊んでも、どこかタロのことを考えてしまう。
僕は今日も、友達と遊ばずに家に帰ることにした。
帰り道、クラスメイトの女の子が話しかけてきた。
「青山くん。昨日から元気ないけど、どうしたの?」
彼女の名前は春崎未来…だったと思う。
あまり話をしたことはないけど、掃除や給食当番で一緒になったことがある。
思えば、友達の誰にもタロの死を話してなかったことに気づいた。
誤魔化そうとも思ったけど、彼女の朗らかな雰囲気に、つい口が滑って話をしていた。
「……タロが、…飼ってた犬が、死んじゃって…。」
今日、僕は初めて、家族以外の人にタロの死を話した。
別に親しくもない、ただのクラスメイトの春崎さんに。
もしかしたら、誰かに話したかったのかもしれない。
大事な家族が、1人、いなくなってしまったことを。
どこか、体の真ん中に穴が開いてしまったような、何かが抜け落ちてしまったような感覚。
言葉に詰まりながら話す僕の言葉を、彼女は静かに聞いてくれて、僕は体が少しだけ軽くなった気がした。
「…そうだったんだ。」
「生まれた時から、ずっと一緒にいたんだ。」
帰り道の空き地で、座って話をした。
タロとの思い出話も、彼女は楽しそうに聞いてくれるから、
僕はもっとタロのことを教えたくて、ランドセルから昨日貰った写真を取り出した。
「わぁ!かわいいね…!」
「シェットランド・シープドッグっていう種類なんだ。」
春崎さんは写真をまじまじと見て、僕に言う。
「…ねぇ、1枚だけ写真貸してくれない?ちゃんと返すから。」
「……返してくれるなら、いいけど…。何に使うの?」
「秘密!3日後には返せると思う。楽しみにしててね!」
「?…わかった。」
大事な写真だったけど、何故だか彼女は大切にしてくれる気がして、写真を貸した。
楽しみにしてて、というくらいだから、きっと何かあるのだろう。
そして、彼女と約束した3日後の放課後。
僕は彼女とあの時の空き地に集まった。
「はい、これ!」
渡されたのは貸していた写真と、かわいくラッピングされた星柄の小さな紙袋。
「これ何?」と聞いたが、彼女は「開けてみて!」としか言わない。
とりあえず写真をランドセルにしまって、紙袋を開けると、ビーズでできた犬のストラップが入っていた。
「これ…!タロだ…っ!!」
「ふふ、私こういうの得意なんだ。」
「すごい…っ!すごいね……!!」
僕が喜ぶと彼女も嬉しそうに笑った。
犬のグッズはよく見るけど、タロに似たグッズが売っているのを、僕は見たことがなかった。
これを作るために、春崎さんは写真を借りたかったんだ。
ストラップの紐からぶら下がる、ビーズでできた小さいタロは、まるで空中を散歩しているようで、空から僕に会いに来てくれたみたいだった。
「これ、…もらっていいの?」
「もちろん。青山くんに作ったんだから。」
きっと世界に1つしかない、タロのストラップ。
嬉しくて何度も「ありがとう!」と、春崎さんにお礼を言った。
空き地で彼女とバイバイしてから、ストラップを早くお母さんに見せたくて、
僕は走って玄関をくぐり、脱いだ靴もそのままにランドセルを背負ったままお母さんを探す。
「おかーさん!お母さんっ!!!見てっ!!!」
「ちょっと、手は洗った……、あら、可愛いわね。どうしたの?」
「クラスの…女の子にもらった…っ!タロが帰ってきたよ!!」
息を切らしながらお母さんにストラップを見せる。
タロにそっくりなことが本当に嬉しくて、僕は何度もビーズのタロを見た。
夜、帰ってきたお父さんにも自慢して、枕元に置いて一緒に寝た。
翌朝からはランドセルにつけて、休みの日は外して防犯ブザーなどにつける。
僕はどこへ行くにもタロのストラップを持って出かけていた。
けど、春崎さんとはそれっきり。
ずっと話しかけたかったけど、なんだか皆の前だと恥ずかしくて、教室で話しかけることができなかった。
そのまま、帰り道で会うこともなく、翌年のクラス替え以降、同じクラスにはなれずじまい。
お母さんは直ぐにお礼をしに行ったみたいだったけど、僕は彼女と仲良くなれないまま卒業してしまった。
小学校の友達はほとんど同じ中学校へ行ったけど、そこに春崎さんの姿は見当たらなかった。
僕は女子とあまり仲良くしていなかったから、友人に聞いて知ったけど、どうやら彼女は私立の中学校へ行ってしまったらしい。
この時初めて、僕は彼女の事が好きになっていたことに気が付いた。
あの時の彼女の優しさが、どれほど僕を救ったことか。
それと同時に、自分の話ばかりで、彼女の事を全く知らないことが悔やまれた。
名前と、手先が器用で優しいこと。
それくらいの情報しか、わからない。
彼女との思い出を胸にしまったまま、僕は3年間何事もなく平凡に過ごし、志望していた高校に無事合格した。
高校に入学して数日。
知り合いのほとんどいないクラスで、僕は友達が出来ずにいた。
流石に高校受験となると、それぞれ夢や目標に向かって進路を考える人が多いから、小学校の知り合いはほとんどバラバラになってしまい、クラスに知った顔は1人もいなかった。
元々自分から話しかけに行くタイプではないし、友達の作り方がわからない。
日を追うごとに教室内ではグループが出来始め、どこのグループにも入れず、内心は焦りと不安でいっぱいだった。
そんな時、先生以外から初めて声をかけられた。
「あの、青山くん…だよね?」
「…はい、そうですけど…。」
朝、教室に着くと女の子が声をかけてきた。
少し緊張した面持ちの様子で、視線を彷徨わせている。
まだ顔と名前を憶えていないけど、教室にいるし、多分クラスの子なのだろう。
うっすらと見覚えがあるような気もする。
彼女がチラチラと僕のスクールバッグの方を見ているのが気になりつつも、用件を待った。
「……え、っと…、その…、す、ストラップ…、大事にしてくれて…ありがとう。」
頬を少し赤らめながら、はにかんで彼女はお礼を言った。
……ストラップ?
彼女の視線を改めて辿ってみると僕の持っているスクールバッグの一点に注がれていた。
スクールバッグ、ストラップ…。
バッグにつけてるのって…、もしかして、タロ……?
まさか……。
「は、春崎…さん……?」
思い当たる人物は1人しかいなかった。
僕は信じられない気持ちながらも、思わず名前を口に出せば、彼女は一瞬、目を丸くしてから嬉しそうに笑った
「あ!覚えててくれたんだ…っ!」
その笑顔が、タロの話を聞いてくれた、あの春崎さんに重なって、僕の心臓が跳ねた。
そうか、見覚えがある気がしたのは彼女の面影があったからだ。
ーやっと、会えた…。
正直、もう会えないとさえ思っていた春崎さんが、目の前にいる。
こんな奇跡、もう二度と起きないかもしれない。
この時ばかりは顔も知らない神様に感謝した。
「…ずっと、お礼が言いたかったんだ。忘れるはずないよ…!」
「お礼?」
「あの時は…、本当にありがとう。僕、ちゃんとお礼もしないで…。」
「やだなぁ、青山くん。ありがとうってすっごく喜んでくれたじゃない。十分だよ。」
春崎さんはそう言って、「…元気になって良かった。」と、照れくさそうに横を向く。
僕からしたら、言葉だけの感謝では到底足りなかった。
というより、感謝してもしきれない。
あの時、彼女に出会っていなければ、ストラップをもらっていなかったら…。
それほど、僕はタロを失ったことが大きかった。
胸にぽっかりと開いた大きな穴を埋めてくれたのは彼女だ。
タイミング悪く予鈴がなってしまい、春崎さんは「またね」と手を振った。
僕も軽く手を振り返しつつ、脳内では勢いよくガッツポーズするほど、思いがけぬ再会に舞い上がっていた。
そのおかげで、授業の内容は右から左へと流れてしまい、何も耳に残らない。
頭と胸がいっぱいだった。
今度こそ、彼女と仲良くなりたい。
そう思っていた次の休み時間、今度は先ほどのやりとりを見ていた隣の席の男子が僕に声をかけてきた。
「青山くん?だっけ。」
「はい?」
眼鏡をかけた顔は真面目そうに見える男の子だったが、茶髪めいた髪は短く、ワックスでセットされたヘアスタイルをみるとチャラそうに感じる。
どちらの雰囲気も持った不思議な人だった。
「さっきの女の子、知り合いなの?」
「え、あ…、小学校の…同級生で…。」
「へぇー、漫画みたいだな。なんか青春っぽい空気だったじゃん。」
青春っぽい空気とは何だろう。
思わず僕は首を傾げつつ、何やら揶揄われそうな雰囲気に身構える。
すると目の前の眼鏡男子は、おもむろにスマホを取り出した。
「わかってないねぇ~、…青山くん!ロマンスだよ!」
ズイッと目の前に見せられたスマホの画面には『ときめき♥ラブロマンス』と書いてある。
恐らくスマホゲームのタイトルだろう。
文字の周りには目が大きくキラキラした女の子たちが描かれている。
予想だにしていない展開に、僕は見慣れない画面を見つめて数回瞬きをした。
「これ…、ゲーム?」
「なにぃ!?お前『ときラブ』を知らないのか…っ!?」
「ご、ごめん、あんまりゲームしなくて…。」
「よっし!俺がおすすめのゲームを教えてやろう!!」
「え、あ…、ありがとう。えっと…、」
「俺は冬川智明。智明でいーぜ。」
「じゃあ、……僕も、夏輝で。」
僕は内心驚いていた。
春崎さんがきっかけで、友達ができた。
また、彼女に救われたのだ。
彼女は何度、僕を救ってくれるのだろう。
…僕は再会してからも、どんどん彼女に惹かれていった。
友達になった智明は見た目通り、真面目さとチャラさを兼ね備えた男で、平たく言えば良いやつだった。
普段からノリが良く賑やかだが、相談はちゃんと真面目に受け答えしてくれる。
僕がタロと春崎さんの思い出話をすれば、智明は目を潤ませながら聞いていた。
…良いやつに違いない。