さよなら、未来

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自宅に帰り、夕飯を済ませた後、ふと思い出した。
……そうだ、あのゲーム。
少しはやらないと、智明がうるさいだろうし……ちょっとだけ、やってみるか。
重たい腰を上げて、飾り気のないリュックからゲームの箱を取り出す。
どうやらこれは、最新型の“仮想空間で遊べる”タイプのゲームらしい。
最近じゃスマホのパズルゲームくらいしか触れていない僕には、少しばかり未来の話みたいだ。
ゴーグルのようなヘッドセットを装着し、ベッドに横たわる。
……なんとも不思議な心地だった。
リモコンもないのに、本当にこんなものでゲームができるのだろうか。
半信半疑のまま、ヘッドセット横の電源スイッチを押すと、暗い画面にヘッドセットの制作会社であろうロゴが浮かび上がる。
そしてローディング画面が表示され、ゆっくりと、目の前が明るくなっていく。

やがて一面に、淡い水色の空模様が広がり、爽やかな曲が流れて、様々な女の子の映像が目の前に映される。
なんというか、3Dメガネかけてアニメのオープニングを見ている気分だった。
お気に入りの彼女と高校生活をエンジョイしよう!…との文字が出て、最後にいかにもなポップなタイトルが浮かんだ。
『青春りすたぁと!』
パッケージの説明書きによると、ゲームの世界へタイムリープして青春をやり直そう、という意味らしい。
視界をぐるりと巡らせると、不思議なことにほぼ360度、全方向に映像が広がっていた。
まるで夢の中にいるみたいだ。
実際の体は動いていないはずなのに、自由に歩けるし、見渡すこともできる。
目線を下げて足元を見れば、自分らしき体まであった。リアルすぎて、少し笑ってしまう。
試しに右手で左手を抓ってみたが、痛みはなかった。
……流石に、そこまでは再現できないか。
『初めから』
その文字に手を伸ばすと、キャラクター作成画面が始まった。
……すごい。
目の形や眉の角度、鼻の高さはもちろん、目と目の距離まで調整できる。
なるほど。
パッケージにあった「お気に入りの彼女をつくろう」って、こういうことか。
智明なら多分、自分の嫁の誰かを作ったんだろう。

「……目は、こうで。鼻は……もう少し高め、かな」

映し出される顔を、スライダーで少しずつずらしながら変化を確かめて操作性を覚えていく。
ある程度何がどう動くのか確認後は、まるで何を作るべきか決まっているかのように、指が迷うことも止まることもなかった。
――こんなの、初めて触ったはずなのに。
自分の中でこんな目が良い、髪型が良い、言語化できなかった何かが3Dで象られていく。
身長や体型を設定して、最後の微調整を終えてから、ようやく操作の手が止まる。
もっと手間取るかと思っていたが、予想よりずっと早く仕上がってしまった。
そうして完成した“お気に入りの彼女”の全体を改めて見て、僕は思わず鼻で笑う。

「……ははっ、…未来じゃん……。」

気付いた瞬間、心臓が震えた気がした。
やっぱり、僕はまだ駄目だ。
意識しなくても、無意識に未来を求めてしまう。
あの時、もう乗り越えたと思っていたのに。
気付かないふりをしていたが、僕の中にはまだ、“未来”がいる。
本当は、あの日からずっと、僕の心の中で、今も息をしている。
自分の名前を『夏輝』、彼女の名前に…一瞬躊躇ったが、『未来』と入力し、
そのまま、浮かび上がる『スタート』の文字に触れた。
目の前に時計が表示され、現在の時刻と同期される。
―瞬間、身体が光に包まれた。
吸い込まれるような浮遊した感覚に、思わず目を閉じると、次に目を開けたとき、僕は教室の入口に立っていた。
……でも、それは自分が通っていた学校じゃない。
木目の机に、古びた黒板。
窓の外からは、どこか遠くで鳴るチャイムの音が聞こえてくる。
ところどころ似てはいるが、教室の中にいる数人の生徒は、誰の顔も見覚えがなく、個性のない顔をしていた。
(ここが、…仮想世界……?)
学校なんてどこも似たようなものだとは思うが、それにしても作りがあまりにもリアルすぎる。
もっとドットの粗い、絵に描いたような空間を想像していたのに、実在するどこかの学校を映しているかのように思えた。
ゲーム画面ではなく、自分の視界を通しているから、なお、そう思えるのかもしれない。
関心しながら教室を眺めていると、不意に背後から声がした。

「ーーー夏輝?」

「…………えっ。」

一瞬、心臓が跳ねた。
まさか名前を呼ばれると思っていなかったから、咄嗟の事に声が漏れる。
驚いて振り返ると、そこにいたのは――“未来”だった。
いるはずのない未来が、そこに立っていた。

「入口でなにボーっとしてんの?ほら、帰ろ。」

笑いながら、僕の腕を軽く引いた。
その仕草があまりにも自然で、思わず息を呑む。
冷静になって考えれば、これはさっき自分がキャラクリエイトした“未来”のはずだ。
こんなところに、未来がいるはずない。
なのに、目の前にいる彼女は、どう見てもただのCGじゃなかった。
少なくとも、僕の知ってるプログラムだとかロボットとはかけ離れている。
まるで、魂が宿っているみたいに、記憶の中の彼女が現れたかと思うほど、
――彼女は“そこにいた”。

肉声のような彼女の声。
指先まで滑らかな仕草。
風に揺れるやわらかな髪。
――触れられている感覚や、感じるはずのない匂いまで、
脳が勝手に思い出して、目頭が熱くなる。
瞬きをする目も、歩く姿も、人間にしか見えなかった。
未来が、ここにいる。
ひょっとして、自分は過去に戻ったのかと錯覚しそうになる。
冷静に考えれば声、話し方、仕草だって少し違う。
けれど、見た目の所為なのか、脳が勘違いをしてしまって、未来と認識してしまう。
現実では、もう写真でしか見ることができなかった笑顔が。
今、目の前で僕を見て、名前を呼ぶ。
まるで、あの日に戻ったようで。
泣きたくなるほどに、僕の記憶にある未来そのものだった。

(……夢でも、見てるんだろうか?)

学校からの帰り道。
知らない道なのに、僕はこの世界を全身で受け入れていた。
自然と繋がれた左手が、まるで初めて手を繋いだ時のように緊張して、
もう触れられなかったはずの人に触れられる。その事実に心が震えた。
いつもなら僕がリードしていた登下校の会話。
今日は未来の方からたくさん話しかけてくれるのが新鮮で、
今思えば、そんな違和感すらも飲み込まれてしまうほど、僕はこの状況にハマりかけていた。

「夏輝、今日も物理の授業、寝てたよね?」

(……そういう設定なのか。やけにリアルだな。)

高校時代、実際にあったことを思い出す。
でも、すぐに首を振った。
占いと同じで、誰もが経験したようなことを言えば、当たったような気になるものだ。
―そういう仕組みなんだろう。
頭で理解しながら、僕は過去に戻ったつもりで話を続けてみた。

「内容もだけど、あの坂本先生の話し方って眠くなるんだよなぁ。」

「わかる!内容も難しくって…。」

「…理数、苦手だったもんな。」

高校一年生の夏休み、2人で図書館に行って勉強会をしたっけ。
効果があったのか、休み明けのテストは調子が良かったけど、期末テストや他のテストは結局ギリギリ50点以上だった未来はひどく落ち込んでいた。
懐かしさに口元が綻ぶ。

「そういえばさ、昨日、家庭科で作った肉じゃが!」

それも――記憶にある。
調理実習でいつもやたら気合を入れる未来だが、成功率は低い。
肉じゃがの時はレシピの分量を一列ずつズラしてしまい、見事に“残念な一品”を完成させたんだっけ。
結局、先生がうまく調整してくれて、なんとか食べられる味になったんだけど。
懐かしくて、自然と笑みがこぼれた。

「ああ、あれな。分量1列ズレて、…ちょっと不味かったやつ。」

「も〜っ!今日、家で練習するの!」

そう言って、未来がぷくっと頬をふくらませた。
その仕草に、昔の未来が重なる。
子どもっぽいところを残したまま、大人になったような――
そんな、可愛い未来。
――懐かしいな。
5年も前の出来事なのに、まるで昨日のことのように思い出せる。
自然と記憶が蘇って、口がスラスラと動いていた。
未来と話していると、こんな他愛もない会話でさえ、どうしようもなく嬉しい。
ただ一緒に歩くだけで、こんなにも心が満たされるなんて。
……あの頃は、
こんな日々が、ずっと続いていくものだと思ってた。
楽しい時間なのに、気づけば、頬が濡れていた。
涙で滲んで、未来の顔がぼやける。

「ーーー、……夏輝?」

彼女が心配そうに、そう呼びかける直前。
一瞬、空白が挟まったような、データを読み込むために世界が止まったかのような感覚があった。
その違和感が、僕を急激に現実へと引き戻す。
まるで僕たちだけが、世界から切り取られた様だった。
時間が止まっていたようにさえ感じた。
けれど、違う。
これは、“あの時の未来”にあまりにも似ているけれど、――本当の未来じゃない。
それでも――、呼べば応えてくれる。
問いかければ、返してくれる。
……どんな問いにも、答えてくれるんだろうか。
彼女と話すことで、救われるだろうか?
僕は口を開いて、閉じた。
その動きを幾度か繰り返し、
意を決して、ようやく声を絞り出す。

「……、未来…っ。」

「…?」

「ごめん。謝って済むわけじゃないけど……、一人にして、ごめん…っ。」

未来の姿をした彼女に、僕は誠心誠意、頭を下げた。
これはただの自己満足だ。
本当の未来じゃないことなんて、わかってる。
今さら謝ったところで、意味がないってことも。
でもそれでも――。
どうしても、一言でも謝りたかった。
許されなくてもいいから、この気持ちを吐き出したかった。

「……私の名前は、未来(みらい)。」

未来(みく)と思っていた彼女は未来(みらい)と名乗る。
少し沈黙があってから、彼女は機械的ににこりと笑った。

「そっか。本当は、“未来”って書いて、“みく”って読むんだね。」

その言葉で、僕は名前を設定したときのことを思い出す。
そういえば、名前の入力画面でふりがなの欄がなかった。
僕は迷いなく、“未来”とだけ入力したんだった。

「あ、いや……君を“未来(みく)”にするつもりは――、」

「いいよ。」

「……え?」

「名前は変えられないけど、私のこと、“未来(みく)さん”だと思ってくれていいよ。」

未来の姿をした“未来(みらい)”が、静かに、やさしく微笑んだ。
その微笑みは、確かに“あの頃の彼女”と同じ形をしていて――。
でも、ほんの少しだけ、違っていた事に僕は違和感を感じながらも、未来ともっと話したいと思った。

「ねぇ、夏輝。私に、“未来(みく)さん”とのお話……、もっと聞かせて?」

誘われるように、僕は小学校の頃、初めて未来と会ったことから、その最後まで。
すべての思い出を語りつくし、次の日も、僕は“未来”に会うため、ゲームにログインした。
就活よりも何よりも、この時間が大切で、むしろ水を得た魚のように未来といる時間だけが生きている心地がした。