さよなら、未来

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次の日の大学。
一週間後の今日、大学は約2か月弱の夏休みが始まる。
この間、バイトに明け暮れる人もいれば、運転免許の取得、資格の取得や、インターンに参加したり様々だ。
特に予定は立てていないけど、未来ならきっと、たまに息抜きしながらもインターンや資格を頑張るかもしれない。
講義の終わりを告げるチャイムが聞こえて、すぐに教室を出ようとしたとき、不意に肩を叩かれた。
振り返ると、そこには前に智明が話していた柚原さんがいた。

「青山くん、友達と喧嘩でもしたの?」

話しかけられた事にも驚いたが、僕の名前を知っていることにも驚いた。
彼女のような存在感があれば名前くらい知っている人も多いだろうけど、僕は目立つタイプでもないし、まさか認識されているとは思わなかった。
柚原さんの言う“友達”とは恐らく智明のことだろう。
今日は智明と話をしていない。
視線は感じていたが、結局、話しかけてくることはなかった。

「いや……。」

思わず言葉に詰まり、曖昧に返す。
どう説明すればいいかわからない。
喧嘩、ではない。
けれど、喧嘩以上に、関係がこじれてしまった気もする。
言い淀む僕を見て、柚原さんはぽつりと呟いた。

「私のこと、覚えてないか。」

覚えてない…?
そう言われて、弾かれたように彼女を見るが、少し悲し気に笑う表情に見覚えはない。
認識したのもつい最近のことなのに。
彼女と話したことが、あっただろうか?

「私、青山くんと小学校一緒だったんだよ。
……まぁ、当時はデブスだったし、結構見た目変わったけど。」

記憶を思い返しながら、自虐めいた言葉に返事を詰まらせる。
言いかけた言葉を遮るように、柚原さんは小さく笑った。

「ま、青山くん、昔から春崎さんにしか興味なかったもんね。」

その笑いはどこか寂しそうで、でもチクリと刺さるような棘がある言葉だった。
――「春崎さん」。
未来の名前が出たことで、思わず身構える。

「……覚えてる?」

彼女は僕の前にスマホを差し出した。
画面には、長い髪を二つに括った、目の大きい笑顔の女の子と、右隣に眼鏡をかけた短髪の、不機嫌そうな女の子が写っていた。
笑顔の女の子は、僕の記憶にある、小さい頃の未来。
恐らく小学3年生くらいだろう、僕が知ってるのはその頃からだから。
不機嫌そうな女の子も、見覚えが全くないわけではないが、思い出せない。
けれど、このタイミングで見せるということは……。

「…もしかして、……この子、柚原さん?」

「あたりー。」

右の女の子を指しながら答えると、写真からは想像できない人懐っこい笑顔で柚原さんは笑った。
近寄りがたい雰囲気だったけど、話すとなんだか未来のような親しみやすさがある。

「……私、未来と幼稚園から一緒で、…昔は、仲が良かったの。」

いつの間にか、柚原さんの呼び方が"春崎さん"から"未来"になっていた。
きっと、当時はそれほど仲が良かったのだろう。
"昔"が強調されていたから、過去の事なのだろうけど。
…そういえば、未来から、聞いたことがあるかもしれない。
小さい頃、仲良かった子がいたけど嫌われちゃったって。
もしかして、それって柚原さんのことじゃないだろうか?

「……ねぇ。まだ…、未来のことが好きなの?」

「まだ」という言葉に引っかかる。
どういう意味だ…?
そもそも、僕が未来の事を好きなのを、なぜ交流のない彼女が知っているんだろうか。
恋人だということを知っている?
だとしても、まるで別れを望むような言葉をわざわざ使うのも変だ。
それとも…。
嫌な気配が身体を支配した。
何故だか、ここにいたくない――そう直感して、一歩後ろに下がる。
それに気づいた柚原さんは僕を睨んだ。

「逃げないでよ…!そうやって、飼い犬の時みたいに、現実から目をそらさないで!」

「…え?」

もう一歩、下がりかけた足が止まる。
逃げる?
飼い犬の時みたいに…?
脳裏にタロの姿が思い浮かぶ。
柚原さんはタロのことまで知っている…?
いや、それよりも…僕がいつ、現実から目をそらしたんだ…?
僕は柚原さんの言っている言葉の意味がわからなかった。
思わす聞き返せば、彼女は続けた。

「あの時、飼ってた犬が死んだときも、そうやって青山くんは受け入れなかった。」

「あ、当たり前だろ…、子供の頃だし。」

「それで未来に似てる犬を作ってもらって、代わりにしたんでしょ。」

「代わりって…、タロは物じゃない!」

僕は少しムッとして言い返す。
家族に代わりなんているはずがない。
あの時は、失った悲しみを和らげるのに、必死だっただけだ。
タロそっくりのストラップをつくってもらったからって、悲しみが消えたわけじゃない。
未来の優しさがあったからこそ、結果としてタロの死を乗り越えたんだ。

「記憶を、消そうとしたんじゃないの?」

「……記憶を…、消す…?」

「…お墓に、犬のストラップを置いたでしょ…っ!
思い出したくなかったからじゃないの!?」

「……お墓…に、ストラップ……?」

身に覚えがない。
自然と視線が、自分のリュックへと向かう。
普段通りの、飾り気のないリュック……。
…飾り気の…ない…?
………タロのストラップが…、ついていない。
いつも、どの鞄にも付け替えていたはずなのに。
いつからなかった…?
お墓に置いただって……?

「■■の墓に嫌な思い出、全部置いてきたんでしょう……?」

「…っ、ゆ、柚原さん…、何を…?」

「本当は…っ、■■が■んだことも…、受け入れてないんじゃないの!?」

「……っ!!」

また、あのノイズが聞こえて、聞き取れない。
テレビの砂嵐のような、五月蠅い音が鼓膜にこびりつくようで、思わず顔をしかめて、耳を塞ぐ。
何で、また…!
これ以上、聞きたくない。

「っ、ごめん、バイトあるからっ!」

僕は苦し紛れの嘘をついて駆け出した。
ちらりと見えた柚原さんは、恨みがましい表情で何かを呟いた。
話を中断したからじゃない。
柚原さんは僕の言動を責めているようで、背中に粘つくような寒気が這い上がる。
ーーもういないのに。
柚原さんが、そう、呟いていた気がした。

息を切らして走る。
また、あのノイズが聞こえてしまった。
智明だけじゃなかった。
となると、おかしいのは、きっと僕だ。
少しの恐怖を感じつつも、どこか冷静な自分が告げた。
"誰かの名前"にノイズが走っている。
思い当たる気がするが、考えたくない。

―「■■の墓に嫌な思い出、全部置いてきたんでしょう……?」
そんなこと、していない。
…はずだ。
何度見ても、鞄にストラップはついていない。
けれど、お墓なんかに置いていった覚えもない。
この日、僕はストラップを失くした後ろめたさからか、未来に会いに行かなかった。
未来が許してくれたとしても、自分が許せなかった。
あんなに大切な、未来がくれたストラップを僕が手放すと思えない。
落とした、ならまだしも、お墓に置いていくことはないだろう。
タロはお墓に入れてなかったはずだし、誰のお墓に…?
そして、そのまま数日が経ち、墓参りの日を迎えた。


一方的に告げられた墓参り予定日の当日。
あの日以来、互いに顔を合わせないようにしていたはずなのに、智明は僕の家に来た。

「行くぞ。」

「……一応聞くけど、どこに?」

「……緑山霊園。」

迷いのない目に、智明の本気さが伝わる。
…なぜ、お墓参りなのか。
誰のお墓参りに行くのか。
またあのノイズを聞きたくなくて、一番聞きたいことは聞けなかった。

「……帰ってくれ。僕には墓参りに行くような人なんて…。」

「……夏輝…。」

ため息を吐きながら言えば、智明は信じられないと言った顔をした。
驚きと、同情のような表情。
そんな反応に違和感を感じつつも、ドアを閉めかけたその瞬間、智明は足を滑り込ませて、それを遮った。

「……頼むから……!一緒に来い…っ!!」

こんなに必死な智明を見るのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。
智明との付き合いはそれなりにある。
少しオタクっぽくて、ちょっと天然なところもあるけど、根は優しくて、真面目で、面倒見が良くて…。
嘘をついたり、人を傷つけるようなことをする人間じゃない。
智明は、僕に何かを伝えようとしている。
それだけは、信じられた。
胸の奥が、少しだけザワつく。
この世界がゲームでも現実でも、話を進めなきゃわからないままだ。
しばらく考えたあと、僕は口を開いた。

「…………10分、待ってくれ。」

智明を家に入れて、手早く支度を済ませる。
お墓参りに相応しい服装が思いつかなかったが、智明も色が地味なだけで普通の私服だったので、無難な服を選んだ。
電車を乗り継ぎ、バスに揺られて着いたのは、……どこか懐かしさのある霊園だった。
線香の香りが風に乗って流れ、空気が静かにまとわりつき、そんな雰囲気とは反対に煩わしい蝉の声が耳を刺激した。
いつだったか、ここに来たことがある——そんな気がする。
でも、父方の祖父母は健在で親族の墓も県外だし、
母方の祖父はもう亡くなっているが、墓はこういった霊園ではなく、お寺にある墓地だった。
じゃあ、誰の……?

考えようとした瞬間、こめかみに鋭い痛みが走った。
僕は眉をしかめて、そっとその思考を手放す。
智明の方を見ると、スマホを見ながら歩みを進めていた。
坂を登り、木陰を通り抜けて、小さな区画の前で智明が足を止めた。
奥へ行けば行くほど、五月蠅くなる蝉の声に紛れて、少し離れたところで、どこか懐かしい犬の声が聞こえた気がした。
犬とお墓参りに来る人もいるんだろうか。
前を行く智明の足が止まり、僕も横に並ぶ。

「……ここは……。」

見覚えがあるような、ないような。
ぼんやりと、記憶の輪郭だけが浮かぶ。
けれど、何も思い出せない。
あるのは、デジャヴ程度の既視感。
霊園なんて、どこも似たような景色だろうけど。

「夏輝……、」

「何も…ない、な。」

僕は地面を見ながら呟く。
心の中で少し、安堵した自分がいた。
タロのストラップがなかったからだ。
ストラップどころか墓がないのだから、疑いようもない。
そもそも、どこのお墓に置いたのかも、今日誰のお墓参りにきたかも知らないのだけど。
仮にここだったとして、それはそれで、ストラップをどこかに落としてしまったということになる。
だが、少なくとも、柚原さんの言葉は否定できる。
小さく息をつく僕を、まるで幽霊でも見るかのように、ありえないものを見聞きしたような顔で、智明は僕を見る。

「………………は?夏輝…、…何、…言ってるんだ……?」

「え?ここ、まだ墓立ってないんだろ? 更地じゃん。」

僕は地面を指さし、当然のように言った。
何度見ても、目の前には四角く区切られた、ただの土の地面が広がっているだけ。
風が吹いて、乾いた砂がかすかに舞う。
……それだけだ。
墓なんて、どこにもない。
そんな場所に何の用だというのか。
目的は墓参りだったはずだ。

「っていうか智明、どこの墓をお参りす……。」

もう一度確認しようと智明の方を見れば、夏だというのに真っ青な顔をしている。
絶望を、そのまま貼り付けたような表情で僕を見て、微かに震えていた。
顔色は青白く、唇の色すら悪い。

「…智明?…大丈夫か?」

「そんな、わけ……ないだろ……っ、お前、“ここにあるのが見えない”のか…!?」

智明が震える手で指差した先は、……もちろん、さっきからずっと見えている、何もない空き地だ。
僕は戸惑い、思わず眉をひそめた。

「……まさか、幽霊でも見えてるのか? …それを見せたくてここに?」

「違うっ!!!!!」

智明の叫びが空気を震わせた。
その勢いに、思わず僕の肩が跳ねる。

「頼む、夏輝……っ!!」

彼は両肩を強く掴み、ぐらぐらと揺さぶる。
まるで何かを乞うような、縋るような手つき。
そして、それ以上に——、
怒ってるような、それでいて泣きそうに歪んだ智明の表情が、声が、震える手が。
どうしようもなく、痛ましかった。

「……頼むから、気付いてくれよ……っ!」

智明の目は赤く、涙が滲んでいる。
嗚咽混じりの声で、何かを押し殺すように、訴えた。
何かがある、それを伝えようとしているのが震える手から伝わる。
けど、僕の視界には何も映らない。
土の地面が、そこにあるだけだ。
それ以外、何に気づけばいいのか。
途方に暮れた僕の近くで、犬の声が聞こえた気がした。